DISC-2

HEART WASH サヨナラ、君のロンリネス

1986年の初冬のある日、今は無き渋谷のYAMAHA店にあった「R&D東京」を訪れました。
ロビーで待つこと数分、中から現れたのは井上鑑氏御本人でした。

2ndシングル制作後、サウンドプロデューサーを迎えて次作を作る事を決めた僕等は早々に動き出しました。
どなたにお願いするか、と言う事は全く悩みませんでした。その理由は色々あります。

僕が日本の歌謡界で「アレンジ」と言う物を初めて意識したのは、寺尾聡さんの「ルビーの指輪」を含むアルバム「Reflections」でした。1981年の事だったと思います。
もちろんそれまでにも素晴らしいアレンジは数多くありましたが、すべて欧米のある特定のアーティストや楽曲の影響を色濃く受けていて「○○風」の域を脱してはいなかったと思います。(個人の感想です)笑。

「ルビーの指輪」を初めて聞いた時に「何だ、このちょっとジャズっぽいのにロックっぽい、しかも自然なスウィング感に、ギターリフまで入っている…」と思ったことを覚えています。
まぁ時を置かずに鑑さんは一躍「超売れっ子アレンジャー」になられたのですが(当然ですね)。

兄もそれまでは前田憲男さん、大野雄二さんといった「ビックバンド系」のアレンジャーのファンでしたが、鑑さんの登場以来「いや、カッコいい…」とよく言っていました
。 WINDYのそれまでのレコーディングにStringsアレンジで参加していた兄と、僕を含めたメンバー全員が井上鑑氏にお願いしてみたいと思っていました。

ただ一つ結構重要な事なのですが、鑑さんのアレンジは基本的に少しジャージーであったり、民族音楽テイストが強かったり、それまでのWINDYのサウンドとは全く違う物が多かったのです。
でも僕はあまり心配していませんでした。その理由は簡単で(笑)、鑑さんはCM音楽を通じて大瀧詠一さんとの交流も多く「A LONG VACATION」にも参加していましたし、「EACH TIME」以降はStringsアレンジも担当していました(NIAGARA SONG BOOKも鑑さんのアレンジです)。
ですから、まぁ僕等のやりたい事も簡単に理解してくれるだろう、と。
それに、何か新しいヒントをくれるんじゃないか…とも。

「渡りに船」とでも言いましょうか、この頃活動のイニシアティブを握っていたマネージャー氏が移籍前の会社で担当していたアーティストも鑑さんがアレンジをしていた事で、面識もあり比較的スムーズに話が進められそうだったのです。
プロデュースというのは単なるアレンジとは違い、どこまで関わるか、演奏は誰がやるか、等々、複雑な部分があります。スタジオミュージシャンを呼んで一日に3~4曲録って行ける訳ではなく、僕等のつたない演奏にお付き合いして頂き、ジャッジして頂く…。
超売れっ子の鑑さんとしては、決して割の良い仕事では無かったと思います。


話は渋谷のYAMAHA R&D東京のロビーに戻ります。

こちらは一方的に存じ上げておりましたが(なんせアレンジャーという、半裏方的な仕事でありながら「笑っていいとも」の友達の輪にも出演される程の売れっ子でしたから)、実際の鑑さんは、物腰も柔らかく、いかにも育ちの良さそうな、世田谷的な(笑)、それでいてロンドンのピッピー的なアヴァンギャルドさを兼ね備えた、まぁ、オーラ出まくりの印象でした(笑)。
事前に資料をお渡ししておいた事もあり、打ち合わせは短時間でスムーズに終わったと記憶しています。
「よく居そうで、でもあんまり居ないタイプのバンドだね」
と言われたのを覚えています。
「演奏は基本的には自分達でやれば良いんじゃない?」と仰ったので、「ピアノもですか?」と聞き返した僕に「ピアノが入るとは限らないよ」と…。
あぁ、そうか…、僕の中にはピアノが入らないと言う発想も無かった…、と思いました。早くもプロデュースだぁ~!と(笑)。

久しぶりに「何だか楽しそうだぞ」と思いましたね、新鮮でした。


そうこうしている頃、1987年の1月に東京青山の日本青年館で初のワンマンホールコンサートをやることになりました。まぁマネージャー氏がある意味勝負に打って出た訳で、今思えば若干無謀な感もありましたが(笑)。

そこで何かイベントめいた事をやろうと言う事に成り、新曲を何曲か演奏してお客さんの拍手の量で次のシングルを決めようと…。
まぁもちろん拍手の量で本当に決めてしまう訳では無く、「間違いなくこの曲が拍手が多いだろう」という想定のもとにライティングやらPAやらも協力して、誘導決定に持って行ったわけですが(笑)。

余談ですが、コンサートを見に来た事務所のスタッフが「あんなシングルの決め方はケシカラン!」と怒ったそうです。
アホか…、と思いましたね。まぁそんなレベルの人が多かったですよ(笑)。

話を戻しますが、そのために、やや早目に数曲のレコーディングを始めたわけです。具体的には、まず鑑さんがアレンジ譜面を送ってくれて、僕等はそれを練習する。レコーディングスタジオで色々指導して頂きながら録音。歌は後日レコーディングして(これはディレクターが担当)、コーラスとコーラスアレンジは僕が自分でやる、と、こんな感じでした。


最初に譜面が届いたのが「まるで天使のように」「君が残した夏」の2曲でした。
後の他の曲はあまり覚えていないのですが、この時の事ははっきり覚えています。メンバーも譜面を見て目を三角にして弾き始めました(笑)。
僕はその日、夕方からラジオの仕事があったので先にスタジオを出たのですが、「僕は今回はギター弾かない…って言うか、弾けない(笑)」とマネージャーに言ったのをはっきり覚えています。その位「難しすぎる…」譜面でしたね。
詳しくは各曲紹介で…。