10.眠り続けたい

1987年9月25日発売の「WINDY最後の発表曲」です。

この曲をレコーディングしている頃、レコード会社内で大改革があり、まず僕等の担当ディレクターが別会社に移籍する事になりました。
色々対立する事も多かったのですが、まぁまぁ音楽的な知識もあり、ある程度音楽を挟んで話の出来る人でした。が、極度の社長崇拝者で、新しく出来るレコード会社への移籍を社長に勧められると、喜んでそそくさと出て行きました(笑)。

社内で「制作(ディレクター)希望者を経験問わず広く募る」と言う、そこだけ聞けば新風が吹く様な悪くない感じの改革が行われ、WINDYの担当に昨日まで別のバンドの現場マネージャーをやっていた女性が手を挙げ、そのまま担当になりました。

誰でも最初は未経験ですが、ある程度優秀な人の元で経験を積んでから実戦に出るべきだと思うのですが、この結果に僕は落胆しました。
それは社内での僕等の位置を物語っていたからです。
大物アーティストはもちろん、期待の若手にも経験の豊富なディレクターが付いていましたからね。

マネージャー氏は「自分が主導してやって行くから大丈夫だ」と言っていましたがこの頃から、遅刻ばかりでまともな仕事のできない若手を僕等に付ける様になり、言葉とは裏腹になって行きました。

要するに人が離れ始めた訳ですね(笑)。
そもそも社内ではデビューの経緯からして歓迎されていない部分が有りましたし。
新人のデビューなんて株式の新規上場の様な物で、とりあえず皆乗りたがるんです。売れた時に自分の功績をアピールしたいですからね。
でも一旦雲行きが怪しくなるとサーッと引いて行きます。
まぁサラリーマンですから解らなくはないですけどね。その辺はこの回顧録の最後にお話ししたいと思います。

そんな矢先、「丸八真綿」のCMタイアップの話が舞い込みます。なぜ瀕死のバンドにチャンスが回って来たのか未だに分かりませんが、とにかく話が来たのです。
もしかすると社内にも本当に僕等を応援してくれていた人がいたのかも知れません。

皮肉な事にアルバムを一枚作り終えた事もあって、井上鑑氏、田中信一氏ともコミュニケーションを含め、意思の疎通などがスムーズになっていた頃で、例えば僕の歌を例にとってもコンプレッションの具合などを含め、非常に良い感じに仕上がっています。
爽やかさに力強さが加わった様な、ある意味WINDYの新しい方向性を少しだけ感じ取れる、曲、アレンジ、サウンドで、今回のリマスターを行った音源の中でも飛び抜けてよい音源でした。

しかし残念な事に期待した様なセールスには結びつかず、結果的に最後の発表曲と成ってしまいました。

ブックレットにも記しましたが、寝具のCMですので「眠る」と言うキーワードが出てくるのは極めて当たり前なのですが、イントロの重厚さやサビでの広がり感など、「最後の発表曲」に成る事を予期していたかの様な曲で、今回改めて聴いて少々驚きを感じました。

ちなみにカップリング曲は「海岸通り物語」となりました。
急遽発売が決まったため、有り物の中から選ばれた訳ですが、実は「眠り続けたい」と平行してレコーディングされていた曲が、「FOR A LONG TIME」に収録した「雨のホリデー」だったのです。


こうして2枚のアルバムと4枚のシングルを残しWINDYは活動を終えました。
正確な解散時期は1988年2月だったと思います。
バンド結成から15年弱の活動期間でした。